高師山』と言っても、ピンっとこられる方は少ないのでは?
愛知県豊橋市の南部に高師という地区があり、渥美線の高師駅、
私が小学校1年のみ通った、高師小学校でなんとなく、高師と
いう名前を聞いたことがあるくらいではないでしょうか・・・。
実は、この高師地区、私の育った地域は色々探って行くと、
意外や意外、面白い歴史があることが私の30年の調査?(笑)
でわかってきました。
高師山』今でも、豊橋から国道1号線で白須賀を超えて、
浜名バイパスと平行して走っている国道42号線沿いに、
『高師山』という信号があります。
高師という地名がなぜ、静岡県にもあるんだろうって思ってまし
たが、『高師山』はいわゆる山ではなく、静岡県の新居あたりから
白須賀、そして愛知県の南部にまたがる標高50~60mの丘陵地
を『高師山』と呼んでいたそうなのです。

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つまり私の実家は、高師山の西端、今のワークルームは東端、
ちょっと繋がりを否応なしに感じる・・・。
$自然のレッスン ~ 過去をクリアーに、現在にフォーカス、そして未来のケアへ
そして、『高師山』は平安時代から江戸時代にかけて、日本を旅する
また、西と東を結ぶ交通ルートとして、かなり重要且つ旅人が
ワクワクする場所だったんです!
①三河から遠江の国境を結んでいた。と同時に東の琵琶湖と言われた
浜名湖が目と鼻の先だった。当時、西の人々はこの浜名湖を境に、
東へ入ったという感覚があったのではないだろうか。
つまり、同じ国ではあるが、違う文化圏に入ったみたいな。
②陸路ルート、太平洋、浜名湖の海路ルートの両方を使うことが
できた。徳川家康が幼少期、高師山の麓、白須賀で今川方に人質で
送られるはずが、織田方に送られてしまった場所でもある。
このニアミスが、後の日本を大きく左右することに。
③京都方面から東に下る際に、初めて太平洋を眺めることが
できた絶景スポットだった。
当時太平洋の白波を、最初に眺めることができたのが、
この場所である。今も、潮見坂という地名がある。
④京都方面から東に下る際に、初めて富士山の全景シルエット
を見ることのできたスポットだった。
『立岩』から見る富士山は格別だった。
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高師山 はるかに見ゆるふじの根を
行くなる人に 尋ねてぞ知る (藤原為家)

あれ富士山じゃね~? って、なんとなくは想像できたが、
初めて見るシルエットに、半信半疑で、近くに人に聞いちゃう
みたいな・・・。
で、あれ富士だよ~、お~、初めてお目にかかりますみたいな。
まずはお祈り。(爆)
そういえば、今年の初日の出で、現世でも、同じこと聞かれた
な~。(爆)シンクロ・・・。
高師山』周辺には、一風変わった天然記念物があります。
その名も、『高師小僧』!
小僧が天然記念物???
詳しくは、http://www.honokuni.or.jp
土中で生成される褐鉄鉱の固まり、褐鉄鉱とは、鉄の酸化鉱物、
天然の錆なのです。この固まりが、色々な形をしていて、
よく見ると、子供の姿に似ていることから、小僧らしい・・・。
確かに、小学校時代、近所の畑にいっぱいありました!
我を忘れて収集してた。
自然がつくる、埴輪みたいな感じでしたよ~。
実は、この高師小僧と製鉄技術が関係しているらしい。
しかも、豊橋、田原、渥美半島一帯は、渡来人が住んでいた
場所として有名なのです。
当然、製鉄技術を持っていて、この高師小僧を繁殖させ、
製鉄していた形跡がある。
つまり、物作りの土台となる土壌がこの、『高師山』には元来
備わっている。
中世期は、あまり知られていないが、『窯業』の一大産地。
現代では、あのトヨタ自動車の創業者、豊田佐吉の出生地
でもあり、にスズキ自動車、SONY, パナソニックの電気自動車用
バッテリーと、時代は変わっても、独自の製造業が栄えている。
この8月、新たな時代へ急激にシフトしている感がある。
新たな創造を模索するには、最適な場所にいるような気がする。